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ケニー・ロバーツ (シニア) : ミニ英和和英辞書
ケニー・ロバーツ (シニア)[ちょうおん]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

ケニー・ロバーツ (シニア) ( リダイレクト:ケニー・ロバーツ ) : ウィキペディア日本語版
ケニー・ロバーツ[ちょうおん]




ケニー・ロバーツ(''Kenny Roberts'')ことケネス・ルロイ・ロバーツ(''Kenneth Leroy Roberts'' 、1951年12月31日 - )は、アメリカカリフォルニア州出身の元モーターサイクル・レーシングライダー。AMAグランドナショナル選手権、ロードレース世界選手権(WGP)500ccクラスなどで輝かしい成績を収め、「キング・ケニー」というニックネームが生まれた。
長男のケニー・ロバーツ・ジュニアもWGP500ccクラスを制覇し、WGP、モトGPを通じ、2010年現在、唯一の親子二代チャンピオン。ジュニアとの明確な区別のため、ケニー・ロバーツ・シニアと呼ばれることもある。次男のカーティス・ロバーツもWGPに参戦した。
1992年には国際モータースポーツ殿堂2000年にはMotoGP殿堂入り。
== 経歴 ==

=== ライダーとして ===
1973年、母国アメリカのAMAグランドナショナル選手権において史上最年少(21歳)でチャンピオンを獲得。翌1974年も2年連続でタイトル獲得。
にはWGPダッチTT(オランダGP)の250ccクラスで初出場する。転倒したが、再スタートし、3位となる。当時の新聞はケニーのことを「ビッグマウス」と書いた。かなりWGPを下に見た発言をしたらしい〔『片山敬済の戦い - オランダGPの16ラップ』(p93)より。〕。
にヤマハワークスライダーとしてWGPにフル参戦する〔それ以前にもスポット参戦の経験がある。〕。初年度から3年連続で500ccチャンピオンという偉業を成し遂げ、WGPにおいて初のアメリカ出身のチャンピオンにもなった。
フレディ・スペンサーと歴史にのこる激戦を繰り広げ、僅差でWGP王座を逃した。この年を最後にWGPからは引退。ただし1985年1986年鈴鹿8時間耐久ロードレースなど、その後もいくつかのレースには出場した。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ケニー・ロバーツ」の詳細全文を読む

英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Kenny Roberts 」があります。




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